善と悪は、本当に表裏一体だ。
ある人から見ればそれは善であり、ある人から見ればそれは悪となる。
ちょうど、映画の主人公が結婚式場に恋人を奪いに行くように。
奪う方に、偏ってみているので良かったと思い、相思相愛が結ばれた!めでたしめでたし。となるわけだが、新郎や親族にとってみればたまったもんじゃない。しかし見ているほうにとっては、それはどうでもよいことだ。
物事を多面的に見、多角的に行動すれば、ゆがみが生じる。
ある面を重視すれば、おのずとある面が軽視される。
出来るだけ、善に生きようとしても、それはどこかで悪に通じている。
焦点がずれると人は、すれ違ってゆく。
最近、飲食部門のメニュー表やPOPに看板。インテリアデザイン部門のコーディネートシートなどのデザインの仕事が多くなってきた。
デザインって本当に面白いと思うんだけど、デザインが出来上がる。何かが違う。何が違うかわからない。しかし何かが違うことだけはわかる。こんな感覚に襲われる。
答えのない世界。
感覚だけが頼りで、感性だけが命綱となる。
この感覚ってデザインに限ったことだけじゃなくて、全てにおいて大切なんじゃないかって思うね。理屈じゃなく、体が感じる感覚。
ナニカガチガウ。
ナニガチガウカワカラナイ。
ナニカガチガウコトダケハワカル。
僕は直感や感性を信じ生きてきただけに、色んなものをデザインすることは、いい意味で自分の中にあるものをOUTPUT出来る気持ち良さがある。
自分の生活を人生を一日をデザインすることは、とても意味深いことだ。
僕も仕事を始めて10周年を迎える。
僕がビジネスを組み立てる際に大切にしている事。
ビジネスは、全て理屈通りに進む。という事。
こうなってこうなる。とてもシンプルで簡単な事。
そんなあほな!そんな簡単なわけない!って声が聞こえてきそうだが・・・。
確かにこれだけではない。
ビジネスの基本は「役に立つ事」。
良く例に出されるが、砂漠でのどがからからの人に水を売るのはたやすい。
熱い→水を飲みたい→水どうぞ→ありがとう。って感じ。
しかしここからが面白いところで、ビジネスをやるのは人間。
人は理屈では判断できない。
同じ出来事を体験しても、感じ方がバラバラ。
出来事自体はニュートラルといえる。ギアを入れるのは自分自身ということだ。
同じ話をしても、トップギアに入る人もいれば、ローに入れる人もいる。バックする人もいれば、ニュートラルのままの人もいる。
会社全体としてのギア・スタッフのギアがどこに入るかを見極めながら、理屈をすり合わせて行く。
アメリカのインターネット最大手とTV局最大手が以前組んだが、理屈では大成功のはずだった。ここまでは正しい判断だった。しかし、若手中心の会社と、年配の方が中心の会社では、全く波長が合わず、会議すら出来ない状況が続いた。どのように会議するかについての会議を行う会議すらままならない状況。一年後の決算は、空前の大赤字。
人は理屈ではなく、感情で動くもの。
商売は理屈で動く。
相反する双方のバランスを考えることはとても大切だ。
自分自身を知る事はとても大切だと思う。
己を知るとは、人生の道しるべを得ること。
具体的には、何が出来て何が出来ないかを知る事。
出来ることを認識することはやさしい。
しかし出来ない事を理解する事はつらい作業になる。
人にはどうしても向き不向きがある。
残念な事に、向き不向きと、好き嫌いが一致しないことが結構ある。
出来ることに照準を合わせることが、結果的には良い方向へ向かうのだろうね。
あなたの当たり前のように出来ている行為は、誰にでも出来るものではない。
誰でも素敵な物を持っている。
出来ることをもう一度見直してみよう。
ポイントは、そんなに努力しなくても出来た事。評価された事。
見落としがちな日常に、あなたの魅力は隠れている。